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やっぱり世の中は、障害者には生きづらい社会なのか。

  去る7月に、盲導犬が刺された事件があったばかりの埼玉県で、またも身障者が暴力を受けるという悲しい事件があった。9月8日、埼玉県のJR川越駅構内で、盲学校に通う女生徒が、何者かに足を蹴られ3週間のけがを負うという事件があった。この女生徒の前方から来た人物が、白杖にひっかかり転倒したらしい。この腹いせに、女生徒の右膝裏を後ろから蹴ったという。
  ワシはかつて、これと似た事例を見た。2012年12月4日にこのブログで「障害者にやさしいまちの障害は健常者です」を書いているので、見ていただければ幸いだが、あえて今日、再掲させていただく。

2012/12/4     「障害者にやさしいまちの障害は健常者です」
  今日会社帰りのバス停でいやな思いをした。このバス停は歩道上にあり、バス待ちの帰宅者が歩道上にあふれていた。幅3mくらいの歩道には歩行者はもちろん自転車も通る。歩道の中心部は、歩行者や自転車の通行のために開けられていたが、それでも1mくらいに狭まっていた。
 ここに片足が不自由な、両脇で松葉杖をついた青年が通って行ったが、彼が跳ね上げた松葉杖の片方が、バス待ちをしていた初老の男性の足に当たったらしく、「あいたっ!」って聞こえた。青年はすぐに振り返ったが、誰に当たったかがわからないらしく、目で人を探しているようだった。するとその男性が、「人に当てたらすぐにあやまらんか」と言った。青年はすみませんと頭を下げて、松葉杖をついて歩いていった。 バスが来たのでワシはそれに乗ったが、バスの中でじわーっと怒りがこみ上げてきた。青年の松葉杖がどれほどの強さで当たったか知らないが、「あいたっ!」って声を出すほどのことか。松葉杖で歩いている人を想像してもわかるはずだ。ワシに当たったとしても、ワシなら黙って自然にしているし、彼が振り返ったら、手を軽く上げて、「大丈夫!」の仕草をしただろう。その初老の男性は、バス待ちの集団の端っこにいて、松葉杖の青年が来るのが見えていたはずだ。であれば、後ろに下がって彼が通るスペースを開けようするのが普通ではないか。謝るのは青年ではなく、彼の通行を妨げたこの初老の男性だ。
 障害者にやさしいまちづくりという言葉をよく耳にする。ワシが子供のころに比べたら格段に良くなっている。点字ブロックは整備されているし、乗り物には優先席があるし、手すり、バリアフリー、階段の昇降装置も設置されてきている。しかし、この初老の男性のように、自分の被害だけを口に出し、謝罪を要求する姿をみると、何が障害者にやさしいまちづくりかと思う。道徳心の欠如は若者だけではない。大人も同じだ。障害をもつ人にとって、世の中はやっぱり住みづらいところなんだなという思いを強くした。松葉杖をついて歩いて行った青年の後ろ姿をみて、申し訳ない気持ちで一杯になった。
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コメント

障害者への理解の薄さ

 こんにちは。

 ハッキリ言ってこの事件には非常に憤りを覚えるし、日本社会はどうなってんだ!! とすら言いたくもなります。

 社会が障害者に対する理解と人権意識が低いせいで、こう言う事件が起こるのだと言いたいし、理解しないから偏見だって生まれて障害者そのものに対する社会インフラが進まないんじゃないかと思います。
 社会的弱者にはすすんで救いの手を伸ばすのが常識なのに、それが全く身についてないと言うか、どうも自分さえ良ければそれでいいなんて考えから周りを見ない人間ばかりが増えた一因にもなるのです。
 今回埼玉県の事件だが、弱い者いじめも極まれりで、そんな行為をする奴は最低もいいところです。

 やはり私は思うに、道徳や倫理を軽視し続けたツケが来てるとしか思えません。
 困っている人がいたらすすんで助けるとか、障害者など社会的弱者にも対等な目で見るとか、弱い者いじめは人として最低最悪の行為だとか、そう言った考えをどうして持てないのだろうか。道徳教育を軽視したから道徳心が欠如している人間が増えるんじゃないのか?
 教育において大事なことは道徳や倫理であって、学歴や偏差値じゃないんだよ!! とも思う次第です。

Re: 障害者への理解の薄さ

> おはようございます、アジシオ次郎さん。

やっぱり、障害者にとって一番の障害は健常者だと思います。そして、それは子供から大人まで、全ての健常者に言えることです。人の痛みがわからない人間が多いということでしょうか。それは、アジシオ次郎さんがおっしゃるように、道徳教育の欠如が大きいと思います。「道徳」を「天皇のために死ぬ」ことだと言って教育してこなかった、というか、させてこなかった日教組に大きな責任があります。自分が一番大事、公よりも個を大事にする、個性の尊重の結果が、障害者に冷たい社会をつくってきて、障害者自身がこの教育を受けてきたことは皮肉なことだと言わねばなりません。「障害者にやさしいまちづくり」という、ありふれたスローガンではなく、「障害者が優先される社会」をスローガンにしたらどうかと思っています。

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