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命の大切さを教えているのに、またも同じような事件。なぜ?

  高1の女子高生がクラスメートの女子生徒を自宅で殺害し、首、手首を切断するという猟奇事件が起きた。しかもこれが長崎県佐世保市で起こった。しかもと言ったのは、10年前の平成16年6月に長崎県佐世保市で、小学6年の女児が同級生の女児に学校内で殺害された事件があったからだ。このときも加害女児は被害女児の首をカッターナイフで10cm以上深く切り、左手甲も骨が見えるくらい切りつけたうえ、倒れた女児を蹴りまくったり、踏みつけたりしている。今回の女子生徒も自分で刃物や工具を使って首、手首を切断したと供述している。そして真偽は不明だが、インターネットネット掲示板に「殺しちゃった」「どうしよう」という投稿が画像と共にアップされた。10年前の事件と今回の事件、同じ佐世保市で起こっているし、事件の内容も非常に似ている。単なる偶然なのか。
  今回の事件を受けて、校長や長崎県の教育関係者は「命の大切さを訴えてきたが」と言って落胆しているが、その指導方針は正しかったのか。二つの事件を偶然と捉えるか、必然と捉えるか。きっぱりと割り切れないにしても、「命の大切さ」の教え方に問題がありはしないか。
  「命の大切さ」は全国の小、中学校では日々教育されているし、学校関係者では人権問題にからみ非常にデリケートな問題になっている。一方では「個性の尊重」「自分らしさ」を大事にする教育が叫ばれ、わがままと個性の境界が分からなくなっている現実もある。
  その昔、ワシがある保護者から聞いた話によると、中学校の総合学習の時間に、ある担任が広島、長崎に原爆が落とされたときの悲惨を説明した。そしていかなる場合でも戦争はしてはいけないと言って、「自分の命を犠牲にしてまで守るものは何もない」と言ったという。ワシはその保護者と顔を見合わせた。自己犠牲は強制するものではないが、それは時と場合によって自然に沸き起こる感情である。この感情を頭ごなしに否定できるのか。「先生よ、そこまで言うか」と思ったものだ。
  自分の命が一番大事、だから人の命は二の次。自分の個性、感情が大事、優先だから、他人の感情はどうにでもしていい。このような穿った感情が知らない間に子供たちに植え付けられていないだろうか。「命の大切さ」を前面に出して教えるよりも、「人の痛みを知る」ということを教えることのほうが、結果「命を大切にする」ことを教えることになると思う。
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