1. 無料アクセス解析

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「想定外を想定せよ」、集団的自衛権の憲法解釈の変更

  集団的自衛権の行使容認を可能にする憲法解釈について安倍首相は、「必要最小限度という歯止め」をかけることで閣議決定をしたいようだ。歯止めをかけないと、集団的自衛権がどんどん拡大解釈されて戦争に突き進むことになるという、反対派の懸念からだ。しかし、東日本大震災による津波で、福島の原発が破壊されたときには、「国は想定外を想定せよ」と識者およびマスコミは主張してきたし、福井の大飯原発直下にあるとされる活断層調査のときにも、「想定外を想定せよ」と言って原発の再稼動に反対してきた。それなのに、なぜ防衛問題になると「想定外を想定せよ」という論が出てこないのか。
  国際関係は常に流動的に動いている。国際秩序もそれにつられて日々変化している。今の時代、グローバル化により世界のあらゆるところに自国民が在留しており、二国間の軍事同盟だけでは自国民の生命と財産を守れないことも起き得るだろう。集団的自衛権の概念も変わってくるかもしれない。
  政府は、集団的自衛権行使容認の憲法解釈の変更を急ぐあまり、「必要最少限度」という歯止めをかけることで解釈変更の理解を得ようとしている。しかし、「必要最少限度」とは何ぞやという定義もさることながら、必要最少限度を具体的に決めてしまうと、将来起こるかもしれない、想定していなかった事態にどう対処するつもりなのか。最少限度と判断されないなら、集団的自衛権を行使しないのか。日本国民の生命が危機に晒されていても。逆に、日本国民の生命を守るために集団的自衛権を行使しようとするのなら、またここで「必要最少限度」の解釈変更をしなければならない。
  安全保障は、いかなる事態においても迅速、確実に実行されなければ意味がない。そこに解釈が必要になる要件を設定することはむしろ安全保障上適切ではない。最終的には内閣総理大臣の意思で決定される。そこはシビリアンコントロールを信じるしかない。それが議会制民主主義の帰結だ。
にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ
にほんブログ村





社会・政治問題 ブログランキングへ
スポンサーサイト

テーマ : 伝えたいこと - ジャンル : ブログ

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。