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保育所待機児童問題、ベビーシッター不足問題に見る「私」と「公」

 今日、朝遅めの朝食を取りながらテレビを見ていた。芸能人が最近話題になったニュースについてコメントしていた。その中で、去る3月にあったベビーシッター幼児殺人事件が取り上げられていた。この事件は、2歳と8ヶ月の子をもつシングルマザーが、インターネットのマッチングサイトと呼ばれる仲介サイトを利用して、個人事業者である男性ベビシッターに夜間の預かり保育を依頼していたが、2歳の子はこのベビシッターに殺され、弟も体にあざが複数有り、虐待されていた可能性もあり、現在警察が捜査中だ。
 この事件では、インターネットを利用して一面識もないベビシッターに子供を安易に預ける親の無神経さや、本当に深夜に預かり保育を頼まねければならないような状況だったのかなどといった批判がインターネト上に多く出ていた。出演していたキャスターのコメンテーターが、「女性の働き方が変わってきて、深夜に保育を依頼しなければならない状況はいくらでもある。深夜だから水商売の人と決め付けるのは間違いで、官僚、医者などもそうだ。24時間保育は今の世の中結構需要が多い。しかし、これに対策が追いついていないことが問題だ。女性の社会進出を後押しするためにも、国は補助金を出すなどしてバックアップすべきだ。」と言っていた。
 ワシはこのキャスターの意見には総論賛成だ。総論と言ったのは、各論にあたるその中間の過程がないからだ。その中間とは、自分の親、兄弟、親族、地域社会の共助のことだ。女性が社会に出て働くにはそれぞれの理由があろう。自分の能力を発揮したい。夢を実現したい。お金を稼ぎたい。どれも正当な理由で社会経済に貢献することだと思う。しかし、言ってみればこれらはみな「私事」だ。その根本である私事のために国が補助金を出せという。個人からいきなり国家に飛躍する論理にいまひとつ釈然としないところがある。現に、親元に子供を預けて、共働きしている夫婦も多いし、臨時の時は近くの兄弟に預けたりしてもらっている夫婦もいる。こういう環境にない親も多いという現実もわかる。しかし、今般の保育所問題やベビーシッター問題を見ていると、個人の問題をすべて国で解決させようとしているように見える。そこに家族のあり方や、地域社会との関わり方を見直そうという議論が生まれてこないところに一抹の不安を感じる。
 もう昔の話になるが、近所の子供を好意で預かっていたが、目を離したすきに近所の池で溺れて死亡したというニュースがあった。このとき預けた親は、預かりを依頼した親を訴え、慰謝料を請求したという。こういうニュースを見ると、いくら好意でも、やっぱり責任が伴うのなら関わらないほうがいいと思うのは万人の気持ちではなかろうか。死亡させるというような重大な過失とまではいかなくても、家の中でケガをさせた、子供の物を壊したくらいのことを、預けた親が享受できるようにならないと、なかなか地域社会が子育てを協力することにはならないと思うが、こういう議論すら生まれない今の社会風潮に疑念を感じている。
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