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小沢無罪に思う

 「陸山会」の土地取引を巡り、強制起訴された民主党の小沢一郎に26日、無罪判決が出た。黒に近い灰色だとか、完全に潔白が証明されたわけではないといった論評がマスコミを賑わしているが、法治国家の裁判で無罪判決がでた以上、小沢は真っ白ということだ。ワシは政治家としての小沢は嫌いである。しかし、今回の判決に対して前述のような論評が大々的にまかり通ることに違和感というか、恐ろしさを感じる。
 小沢を裁くのは法廷である。民主主義国家、法治国家の法廷が下した判断にマスコミが疑義を挟むのは良しとしよう。これも民主主義社会の大事な一面である。しかしながら、黒に近い灰色だとか、完全に潔白が証明されたわけではないと断定するのは思いあがりいいところ、いつからマスコミは人を裁くようになったのか。裁判では無罪になったが、小沢には政治的、道義的責任があるから、完全に白と認められたわけではないという。確かに政治的責任はあると思う。地元有権者に負託されて政治家になった人間が、私利私欲のため不正な金を手にしたのなら断罪されるべきだし、そういう嫌疑を受けること自体本人に過失はある。それを否定するなら、十分なる説明責任は果たすべきである。しかし小沢にはその努力、いや気持ちすら感じられない。政治家として適格性に疑問符がつく。
 一方、道義的責任を声高に叫ぶ論評もあるが、ワシはこれが一番怖い。道義、つまり道徳、人の守るべき道のことだが、一体何様が道義を説いているのか。マスコミはそこまで完全無比なのか。道義は、冷静な社会秩序のなかで教育、伝承されて個人が悟るものだ。これが道義だとヒステリックに断罪するものではない。小沢に道義を説くのなら、その小沢を選んだ有権者こそ道義的責任を問われるべきだ。
 道義的責任を求めるの声が強くなり、それが法律上の無罪を凌ぐような状態が、法治国家としてはたして健全な社会と言えるのだろうか。
ワシには耐えられない。いっそ法律で罰せられて、刑期を満了して出てきたほうがよっぽど気が楽と思える。魔女狩りという言葉があるが、ワシは言葉による集団リンチと言いたい。地元有権者がそれをすると、小沢の政治生命は断たれる。それが議会制民主主義のルールだ。しかしマスコミという公器をつかって世論を誘導して、いち政治家の追い落としを図る姿勢は、議会制民主主義の否定であり、言論弾圧とも言える。
 小沢の好き嫌いではなく、もっと冷静な報道はできないものか。
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テーマ : 小沢一郎 - ジャンル : 政治・経済

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