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伝統ある神事よりも、PRになるほうがいいだと!

 滋賀県にある日吉大社の「山王祭」で史上初めて女性が参加する。山王祭は五穀豊穣を願う男中心の祭りとされ、平安時代に始まり1200年の歴史がある。神輿をかついだ男性らが琵琶湖に向かって練り歩く「神輿神幸(しんこう)」に、神輿を率いる神馬の後ろで「お供」役として別の馬に乗るのが越直美・大津市長(36)ということだ。成人女性の参加は1200年の歴史の中で初めてのことだ。これに対して賛否両論あったらしいが、祭りのPRにつながると実現にこぎつけたという。
 あーあ、ここでもまた、伝統の何たるかをまったく理解しないバカな連中が、「祭りのPRになればいい」といとも軽薄な理由で1200年の伝統に穴を開けてしまった。その程度の理由で伝統に穴が開く程度だから、大した神事ではない。日吉神社の山王祭はいずれ廃れていく。有り続ける意味がなくなったと言ってもいい。
 この手の話はしばしばニュースになる。伝統ある神事を地元の活性化の手段に利用しようとするものだ。ここまでは良しとしよう。しかし、ほとんどが活性化を優先させんがために、神事の主旨を蔑ろにしている。本末転倒とはこのことだ。主催者およびその関係者も軽い、実に軽い。歴史の素養がなく、神事の謂われ、その時代背景を勉強することもなく、単なる祭り、フェスティバルとしか見ていない。これで伝統が守れるはずがない。
 今回の山王祭に女性が参加することを支持する意見に、「男女平等の流れもある」というもっともらしいがバカの極み発言がある。その昔、大阪府知事が女性だった頃、大相撲大阪場所の表彰式に、府知事が土俵に上がり直に力士を表彰したいということが物議を醸したことがある。土俵には女性は上がれないのが伝統で、結局大阪府知事は土俵下で、代読を聞いていた。このときも女性差別だ、男女平等に反するなどの反対意見が出ていた。伝統とはそういうもんだ。今の価値観では不条理かもしれないが、それがいままで受け継がれてきたことの重みを考えなければならない。世の人々から不要と判断されたものは自然と淘汰され、消滅していく。しかし、それがいままで受け継がれ現存していることの意味、重みが伝統の重みではないか。なんでも現在の価値観で判断すると、ほとんどの伝統は悪いもの、意味の無いもの、糾弾されるべきものになる。しかし時の価値観も変遷する。だとするといつの時代になっても伝統という概念は生まれてこず、したがって伝統のない社会になる。ワシには想像がつかない。
 全国各地で保存、継承されている神事が、受け継ぐ人がいなくて存続の危機にある。だからこれを祭りにしてPRしようという試みはわからんでもない。しかし、神事の主旨、執り行い方を現代風にアレンジするやり方には断固反対する。
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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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