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「絆」はどこに行った?

 東日本大震災の瓦礫受け入れで日本が揺れている。発災直後は国民みんなが、純粋な気持ちで支援したり、ボランティアしたりして、日本国民の「絆」の強さを見せた。世界もこれを賞賛した。
 戦後、公よりも個を重視する教育のせいで、個人主義という利己主義が蔓延し、自分の命が一番大事と教えられてきた現代日本人。しかし、未曾有の大災害に際し公のために尽くしている姿を見て、日本人も捨てたものではないと見直し、勇気づけられた。
 この大災害も1年が経つが、遅々として進まない復興の最大の原因が瓦礫の処理である。推定で2000万トンを超えるといわれる瓦礫。当然被災3県で処理することは不可能である。全国で分担して一刻も早く瓦礫を処理することが、復興を早めることになるが、放射能汚染を心配する住民の反対で瓦礫の受け入れができないでいる。汚染レベルは問題のない範囲にもかかわらずだ。
 ついこの前まで、頭に血が上ったように「絆」といって国民が、パタっと静かになった。と同時にこの「絆」という字が安っぽく見えてきた。冷静になって考えるとこれが日本人の普通の姿なのだ。日本人は、何か大きな社会不幸があればのぼせ上がりボランティアシンドロームに患る。このことは大変いい事ではあるけれども、どこか対岸の火事を見ているようで、ワシはこういう空気には同調しない。そしてこういう傍観者的立場の人間が「愛」だとか「平和」だとか「絆」などという綺麗事を作る。 
 瓦礫の受け入れが自分たちの問題としてのしかかってきたら沈黙する。沈黙だけしていればいいが、逆に声を上げて反対する。こういう姿を見ると、当初の支援活動の感動が大きかっただけに落胆も大きい。だからといって瓦礫処理を現行のままにしていていいはずもない。ここに首長の決断と、指導力が求められるが、そういう意味では石原都知事は傑出している。全く問題のない放射性レベルの瓦礫だから安全だと、受け入れを反対する人間に「黙れ!」と一喝した。これが今の首長にはできないのだ。国民もこの「黙れ!」が聞きたいのだ。それが民心を安定させる。
 マスコミもあれほど「絆」を煽っておいて、この問題に沈黙しているのはどういうつもりだ。石原みたいに堂々と瓦礫受け入れの論を張れ! それがマスコミの責任だ。
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テーマ : それでいいのか日本国民 - ジャンル : 政治・経済

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