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楽しみながら支援する?

朝起きてテレビをつけた。6時のNHkニュースで、福島原発事故の支援で、新しい形の支援が注目されているという。それは趣味を楽しみながら支援するというものだ。釣りをして、釣った魚を水産会社に買い取ってもらい、その金を義援金にする。また、雑貨店から無償で提供してもらった材料でノートを手作りし、被災地の子供たちに贈るというものだ。これらが新しい形の支援らしい。テレビに映る参加者の顔には、趣味を楽しみ、さらに被災地に支援ができるという満足感が漂っていた。いい話に聞こえるが、ヘソ曲がりのワシにはムラムラと不快感が湧きおこりこのブログ書いている。今回の未曽有の大震災。家族、親族、友人、恋人、財産、仕事、すべてを失って失意し、途方に暮れている被災者に対し、不謹慎極まりないというのがワシの考えだ。いくら支援するといっても、主目的は趣味を楽しむことだ。支援は二の次、ついでなのである。当人たちは、自分は趣味を楽しめるし、被災地への支援にもなるし、いいじゃないかと言っていたが、あまりにも軽薄だ。今の若い人間の典型にも思える。我々が個人レベルでする支援というのは、額や量の多少ではなく気持ちなのだ。エンピツ1本でもいい、自分のできる範囲でその気持ちを伝えることが、被災者の気持ちをどれだけ和ませ、勇気を与えることか。ワシが被災して、避難所で暮らしているときに、名も知らない子供からボールペンの入った封書が送られてきたら、それは一生の宝になるね。そして「がんばってください」なんて紙が入っていたらもうウルウルだよ。こういう気持ちの入った支援も、現に多く寄せられている。しかし、「新しい形」の支援がそれに水を注しているように思う。ワシなら、こんな気持ちで支援されたものなんかいらない! と投げ捨てる。同じように思っている被災者も多いと思う。これを取材した記者や、ニュースに採用した編集者は、いいニュースと思ったかもしれないが、趣味に参加した人間と同じだ。思慮が足りない。彼らもやっぱり今の若い人間の典型だ。いいことをする、人にやさしくする、愛、平和、という言葉が社会にあふれている。学校教育でも大事な教育目標だ。しかし、社会や子供たちはそれと相反して、殺伐とし、暴力的になっている。言葉が軽いのだ。いいことをする、人にやさしくする、愛、平和これらの言葉の裏には身を犠牲にすることや、血が出るような努力が隠されているのだ。それらを教えないで、上辺の言葉だけを教えるから、本質がわからないし、気持ちを忖度することも出来ないのだ。これも戦後教育の弊害だ。
趣味を楽しんで支援したヤツらよ、お前たちは、いまでもいいことをしたって思っているんだろう。そういう気持ちの支援がかえって反感を買うって思ってもみないだろうよ。そういう人間を軽薄人間と言うんだ!
わかったか!
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テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル : 政治・経済

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