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敢えて問う、福島原発事故は人災?

東日本大震災が発生してもう2カ月になる。いまだに避難箇所で生活を強いられている多くの被災者がいることに心を痛める。仮設住宅の建設も急ピッチで進められているが、必要戸数からいえばまだまだ微々たるもので、せめてプライバシーが守られる個室が何んとか提供できないものかと願うばかりである。福島原発の放射能漏れによる住民避難も2カ月を迎え、住民のいら立ち、不満が表面化してきた。その矛先は当然ながら東電である。ワシが被災者であっても同じように東電を追及するだろう。いま世論は東電人災論に固まりつつある。そこで、ワシは敢えて問う。東電の何の瑕疵に対して人災を言っているのかと。ワシは4月9日のこのブログでも書いたように、原子炉が被災損傷して放射能を漏えいさせたことが人災なのか。だとしたら誰も想定していなかった M9.0の地震とそれによる大津波までも人災なのか。または、M9.0の地震や津波は関係なく、放射能を漏えいさせたという結果が人災なのか。はたまた、原子炉建屋を水素爆発させ、それが原子炉に損傷を与えて放射能を漏えいさせたことが人災といっているのか。人災という言葉だけが独り歩きして、人災の中身が何も議論されていないことに奇異を感じる。穿った見方をすると、マスコミによる東電人災論の洗脳にかかているようなものだ。津波の被災から原子炉建屋の爆発までの対応に問題はなかったか、建屋爆発後の対策は妥当であったか、これから検証されるであろう。原因はどうであれ、事業者としての結果責任は当然あるし、東電に瑕疵はないというつもりはない。しかし、今の世論を聞くと東電100%悪玉論だ。感情論ではなく、すこし冷静に判断したほうがいい。どこまでが天災で、どこからが人災なのか、そしてその人災部分に東電の瑕疵がどれくらい影響しているのか。こういうふうに整理して考えてくると、東電が背負わねばならない人災部分というのは、巷いわれているほど大きくないような気がする。それは小さいという意味ではなく、全体の損害から見れば大きくないという意味だ。もともと、原子力発電所は国策のもと、国が定めた基準で建設されている。民間電力会社が建設、運営しているとはいえ、国の命令で建設させ、国の代行で運営ているようなものだ。国策に協力するために拒否権などは行使できない。そうやって作られた原子力発電所だ。だとしたら国は事業者、つまり東電以上の責任を負ってしかるべきではないか。それを東電を矢面に立たせて、国が事業者の背後にいることは卑怯だ。ワシが電力会社の社長だったら、国の原子力行政には協力しない。地域独占という特権も外していいから電力の自由化をすすめてもらい、自分は水力と火力、太陽光、風力など出来る範囲で発電して、原子力発電は他社にお任せする。原子力発電でもして、想定外の天災に遭い、事業者の責任で補償しなさいといわれたら会社は潰れる。そうならないためにも、危ない橋は渡りませんと、はっきりと国に物を言う。今回の災害で、国が東電を見離せば、国の電力行政の信頼は失墜する。他の電力会社は電力行政、とくに原子力行政には協力しないのではないか。元来が自ら進んで原発を建設したいと思っている電力会社なんぞないのかもしれない。今回の原発事故は、いち民間電力会社の事故ではない。文明を支える電力の事故である。それは国民ひとりひとりが日々の生活を実感できる文明の象徴だ。この生活水準を維持し、向上させていこうと思うならば、それは国民みんなが応分に負担して、回復させなければならないと考える。言うだけ言って、やることはやらない人間にはなりたくない。
ワシの考えは間違っとるか。
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テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル : 政治・経済

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