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「想定外」を想定しろって?

今回の東日本大震災、マグニチュード9.0という「想定外」の地震と、それによる「想定外」の津波により、三陸沖から茨城県沖まで南北約500kmにわたり壊滅的な被害を与えた。これまで想定されていたマグニチュードは7.5、過去最大の津波を想定して10m規模の堤防や防波堤が建設されてきた。とりわけ岩手県釜石市の湾口防波堤は、過去何度かの津波被害を経験して海底から60mも積み上げた立派な防波堤だった。先人たちが営々にして築いてきたこれらの努力を一瞬にして水泡に帰した。人間の力が自然の前にはいかに無力であるかを改めて知らされた。この津波で東電の福島原発が全電源喪失し、原子炉がコントロール不能なり、かつ放射能漏れを起こして30Km圏内の住民が避難生活を強いられている。避難生活が長期化する見込みになり、ここにきて東電人災論がマスコミに出だした。過去の津波の大きさを想定し、それに安全率も見込んで予備電源を設置しており、その予備電源がすべて津波で被災することは想定していなかったというが、想定外を想定することが危機管理だいう論調だ。隕石が原子炉に命中することまで想定しろとはいっていない、867年(貞観11年)の貞観地震の記録がなぜ防災に生かされなかったのかという。お説もっともという気がするが、1000年に1度、起こるか起こらないか判らないことを想定し、その対策を講じろというものだ。それが研究者の仕事であれば誰も異論はない。しかし、それを行政や企業に求めることがはたして妥当なのか。行政や企業活動は国民の生活に直結している。そこには経済活動が付きまとう。すべての行政、経済活動になんらかの形でコストが反映されている。いいものを作ろうとすればそれだけのコストがかかることは常識だが、同じように完全な安全を求めようとすればそれだけのコストがかかる。今回の津波はあるところでは30mともいわれているが、これを教訓に津波から街を守ろうとすれば堤防の高さは40mくらいなものを作らなければならないし、津波が絶対に到達しないように、背後の山を削ってそこに工場や街を作るかしなければならない。これらの経済負担は税金や物価という形で直接間接、国民生活に跳ね返ってくる。国民はそれを容認できるかということだ。こういうコンセンサスができればそれが最良、最善だが、それができないからどこで折り合いをつけるかということが問題になる。そこに想定の合理性が求められる。それは10年に1度の割合で発生する災害を想定するのか、20年に1回か、50年に1回か、100年に1回か、1000年に1回かという確率論になる。行政者と学識者と十分に協議して決めることだ。今回の原発の被災も、合理的に想定できる範囲で対策が講じられていたものだ。それを、被害があまりにも甚大だからといって、単なる結果論だけで、地震や津波が想定できたのではないかと批判することは誰にでもできる。責任ある立場の人間が言っているのではなく、責任がない立場の人間が言っていることに注意しなければならない。そういう大衆に迎合する論調には注意したい。「想定外」を想定するのが国家の危機管理だと誰かが言った。名言でもあり、迷言でもある。だったら、北朝鮮が日本に核ミサイルを発射するかもしれないし、中国が尖閣諸島を実効支配するべく海軍を侵攻させるかもしれない。またロシアが国後島や択捉島に巨大な軍港をつくるかもしれないし、韓国が対馬は韓国の領土だと言って竹島と同じように実効支配するかもしれない。これらは防災対策で想定する地震の発生確率に比べると、遥かに大きい確率で発生する。10年以内に発生するかもしれないのだ。だったら我々国民は政府に対して、もっと国防の充実を求めるべきではないか。
「想定外」を想定するのが国家の危機管理でしょ。ねえマスコミさんよ。
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