1. 無料アクセス解析

福島原発事故、人災?

福島原発の放射能漏れ事故が長期化の様相を呈してきた。年単位になるとの観測もあり、その間の補償問題が注目され出した。農畜産物の出荷制限、漁業の休漁、そしてそれらに伴う風評被害など日に日に経済損失が膨らんでいく。これに原発30Km圏内の住民の避難に伴う休業補償などを加味するととんでもない数字になる。東電がこの補償に持ちこたえられるかということが話題になり、東電国有化論が出たりしている。当然ながらそれらに対する補償は実行されなければならない。しかし、東電にそのほとんどの部分を補償させることが妥当かどうかということは考えなければならない。予見できた災害に対して、その対策をとっていなかったのであれば、当然東電には100%の補償義務がある。しかし、予見できなかった災害に対して、東電に100%の補償義務を負わすのはおかしい。原子力発電は日本の国策で進められてきた電力事業だ。東電という一民間会社が建設、配電しているとはいえ、建設にあたっては国が定めた厳しい基準で認可、建設されている。この基準の元となる建設条件を遥かに超える地震、津波が発生しての今回の災害だ。この津波により、原子炉の非常用電源が破壊され、原子炉の温度調節が不能になって建屋の爆発、放射能の漏えいになった。今日この頃の識者の論調を見聞きすると、何故そこまでの震度想定が出来なったのか、何故そこまでの津波高を予測できなかったのか、何故東日本と西日本で電気の周波数が違うのかといった結果論ばかりが目立つ。震災前には誰も言っていなかったのに。こういう論調は、誰かに責任を押し付けようという論に思える。それは、確実に補償されるべきですよと、弱者被災者の側に立ったご機嫌とりのポーズだ。しかし、東電のどんな瑕疵に対して補償しろといっているのかがあいまいだ。放射能を漏えいさせたことがそうなのか。だったら原子炉が破損した原因の地震と津波をどう考えるのか。それとも原因の云々よりも放射能を漏えいさせてしまったという結果責任を追及しているのか。想定ができないものの結果に対して責任をとることができるのか。人は物的、精神的、経済的な損失を被った時には誰かにそれを弁償させようとする。ワシもそうするだろう。しかし一方で、誰にも責任を追及できないこともある。自然災害がそうだ。だから補償はしなくていいといっているのではない。人間は自然の前では無力だという認識のもと、自然災害に対してはみんなで悲しみを分かち合いましょう、助け合おうという共助の精神を発揮するときだ。今回の東日本大震災、原発放射能漏えい事故は東北地方だけの問題ではなく、日本国全体、日本国民全員の問題だ。だから東電には東電の出来る範囲の補償はしてもらうが、大部分は国が補償することで、全国民がこの災害の悲しみ、損失を分かち合うべきではないか。過去の自然災害ではいくつも、誰かに責任を負わすことで、人災にしてきた。しかし、今回の放射能漏えい事故は、過去の自然災害のように人災にしてはいけない。こういう思い上がった態度に対して、自然が人間に対して鉄槌を下したのかもしれない。
スポンサーサイト

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル : 政治・経済

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)