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ことなかれ主義の蔓延

最近妙に気になることがある。それは、住民や客、利用者という立場の人間から苦情がくれば、苦情の内容を吟味して対応を検討するということをしないで、その苦情者とのトラブルを避けるために、無批判にそれを受け入れて、問題を解消しようとする態度が、特ににみられることだ。役所や学校などの公的施設に特に多い。ワシの住んでいる町でもこんなことがあった。道路の街路樹として桜を歩道に植えているのだが、雨の日に傘をさして通れないという苦情が役場に寄せられ、団地内の桜の街路樹を全て伐ってしまった。樹齢30年にはなろうかという桜で、春の花見を楽しみにしていたが、町民には何の連絡もなしに伐られてしまった。また、息子の通う学校では、放課後の応援団部の練習で、大太鼓を叩く音がうるさいと言って周辺住民から苦情が学校に寄せられ、校長が応援団部に大太鼓を使った練習をしないようにと要請してきた。また同じ学校で、全国大会に出発する野球部の壮行会を駅でやろうとした時、駅長から、構内でエールや校歌の斉唱は、一般利用客の迷惑になるからやめるようにと言われ、応援団部による壮行ができなかった。このようなことはあちこちで起きている。確かに苦情をいう人間はいるだろう。しかし、ほとんどの人は、自分が少し我慢をすれば済むことだ、苦情をいうほどでもないことだと言って、自分の気持ちの中で整理して対処してきた。そうすることが、近所、地域、社会と穏便に付き合っていく知恵だと思っていた。日本社会のいい面でもあった。ところが最近、周囲との関わり合いなど気にせずに、個人の感情や考えを主張し、公に文句をいう輩が多くなってきた。またこういう輩に限って、理屈っぽく、言が立つものだから、公はこういう人間とのトラブルを未然に回避しようとする。だから、苦情の中身を吟味せずに、そのクレーマーの意見を無批判に受け入れることで、一日でも早くトラブルを回避しようとしている。この傾向が、クレーマーを増長させる結果にもなっている。そして最近は公が、苦情が出ていないにもかかわらず苦情が出ることを事前に予測して、その火種を未然に抑制してしまう傾向が見受けられる。要は、ことの本質ではなく、とにかくトラブルを避けるということが第一義になっている。それには、公と住民、公と個人、団体と個人、会社と社員、店と客という対立した図式では、常に弱い立場の側に立って、弱い者が常に正しいと報じるマスコミの姿勢に大いに問題がある。反権力という立場が高じて、弱いもの、小さいものが常に正しいとする、一種の宗教観なるものが定着した結果かもしれない。また、戦後教育で、個人の尊重が叫ばれ、公共のためより自分のため、自己主張することがいいことだという間違った個人主義が定着してきた結果ともいえる。こういう個人主義者に対し、堂々と反論できる気骨のある人間が少なくなってきたことは悲しいし、そういう人間に対して、内心共感はしていても、我関せずの事なかれ主義を通してきた国民にも責任の一端はあると思う。ワシらが小さい時にどこにでもいた、うるさいジジイ、ババアが今必要なのかもしれない。そう考えると、やっぱり戦前の教育に学ぶべきところは学ぶという姿勢が大事ではなかろうか。
しっかりしろ、日本!
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テーマ : これでいいのか日本 - ジャンル : 政治・経済

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