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今こそ「我慢すること」の重要性を説くべき。

 武漢ウイルス感染拡大で、政府は緊急事態宣言を発令した。宣言で首相は、「人との接触を8割減らして感染の拡大を防ぎたい」と言った。これに対し街の声はほとんどが無理だと言っていた。自民党の二階幹事長も「できるわけない」と言った。だが、ワシはそんなこと簡単にできると思っている。
 日常の通退勤で何百人と無意識のうちに接しているか。これを防ごうというのがテレワークだ。家族や生活用品の買い出しで人と接触するのは通退勤のそれに比べてはるかに少ないし、そこまで自粛する必要はないと政府も言っている。テレワークできる人ばかりではないという声あるが、できる人はできるだけテレワークで人との接触を避けることと、できない人は、時差出勤するなどして極力大勢の人との接触を避けるなどの対策をとってもらいたいというのが非常事態宣言の趣旨だと思う。
 テレビのインタビューで、学校で友達と会えなくて寂しい、友人と会えないことがつらい、会食できないことがつらいなどという声もあったが、わずか1か月程度会えないくらいでつらいなど、聞いていて腹が立ってきた。「そのくらい我慢しろ!」と一喝したい気持ちだ。
 病院には何か月も、何年も外部と接触できない病人がいるんだ。わずか1、2か月ごときで泣きをいう。なんとやわな国民に成り下がってしまったのか。またこれをあたかも国民の声として報道するマスコミの姿勢には不信感を拭えない。国民の不安、不満を煽り、政府批判に結びつけようとするマスコミの思惑が見て取れる。
 いまは自粛という我慢の時だ。「我慢しろ!」というと、権力が国民を弾圧する際に強要する思想統制につながるとして、左巻き連中が騒ぎ立てる。日教組が全盛のころは、小学校でも「我慢する必要はない」と教えていた。自分の気持ちを自由に表現することが、個性の表現だ。我慢することは、「欲しがりません、勝つまでは」と同義に解釈され、戦争につながるという論理だった。こういうばかばかしい論理が一時日本を席捲していた時代があった。
 しかし、この武漢ウイルス感染との闘いは、いってみれば生物化学兵器との戦争だ。個人の自由を尊重して死んでもらうのは自由だが、そんな人間のために巻き添えにされ死ぬのはまっぴらごめんだ。
 左翼は事あるたびに、戦争に巻き込まれないようにと言う。ウイルスには武力で対抗できない。対抗するにはワクチンによる我が身の免疫の強化と、「我慢」という武器以外にない。
 ワクチンがない、そして武器が嫌いなら、感染して最悪死ぬしかないよね。
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テーマ : 私の見解 - ジャンル : 政治・経済

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