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母親の涙ぐましい愛情

  ワシは朝早く出勤する。団地内から地下鉄の駅までバスに乗る。そこから1区間だけ地下鉄に乗るが、地下鉄を降りるときはいつも同じメンバーだ。その中にひとり、40代半ばとみられる知的障害者がいる。この駅近くの施設に通っているのか、近くで働いているのかわからないが、いつも小綺麗にしていて清潔感がある。そして彼がはいている革靴がいつもピカピカに磨かれているのに驚く。わしもいつも革靴をはいているが、毎日磨いたことはない。休日に気が向いたら靴クリームを塗って、ネル布で伸ばしながら拭き取るくらいで、ましてや嫁さんが毎日靴を磨いてくれるなんて有り得ない話だ。ところが彼の靴は、その朝磨いたということがわかるくらいにいつもピカピカなのだ。ワシの想像では、彼の母親が毎日磨いて、彼を送り出しているのだろう。母親の子に対する愛情が感じられる。彼の年齢から察すると、母親は70歳前後と思われる。母親が元気かどうかはわからないが、彼に着せる服を用意し、靴を毎日綺麗に磨く、これを自分の責任として、日々の仕事として課しているような気がする。
 70歳ともなれば、この先そう長くは生きられない。しかし息子のことを思うと死んでも死にきれない。いま自分ができることは、この息子が世間から後ろ指を指さされないように、普通の人のように、いや普通の人以上に小奇麗で清潔感のある身だしなみをさせて世間に送り出すことだと言っている様に思えるのだ。そこには母親の愛情と、涙ぐましい意地と、世間に対する反発が感じられるのだが、翻って自らを顧みたとき、ワシは彼の母親ほどに確固とした信念をもって子供に接しているか、はずかしい限りだ。
 今の世の中、心身ともに何不自由のない人間が、ちょっとした欲や、見栄や、感情だけで、凶悪な事件を引き起こしている。そういう世の中に対する、ある意味軽蔑が彼女らの生きる力、意地になっているのかもしれない。
  社会人になる子を持つ親として、彼女の気持ちを察する年齢になったのかと思う日々である。
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テーマ : 今日のつぶやき - ジャンル : 日記