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被災者を元気づけたい、だとよ

先日テレビを見ていたら、学生が主催するよさこい祭りを、東日本大震災の被災者を慮って中止すべきかどうか議論を重ねた上、実行することになって過日、それが無事終了したというドキュメンタリをやっていた。実行を決断するまでに喧々諤々の議論をし、実行委員会事務局を離れた学生も何人かいたという。被災者の気持ちを考え自粛するべきという意見と、いや逆に、することによって被災者を元気づけようという意見の対立で、後者の意見が通ったということだ。
 今回の大震災では、よくこの手の話がでる。「被災者を元気づける」ために現地で合唱をする、みんなで踊りを見せるという話だ。こういう事態のときに合唱や踊りが見たいのかねとワシは思うし、そういうものを見る気にもならんというのがワシの考えだ。折角の好意に水を差すようだけれど、結局のところ自分たちが歌いたい、踊りたいから見せたいのだろう。被災者を元気づけるというのは歌うため、踊るための口実にすぎない。今回の地震や津波で家族、大事な人を失って悲しみに暮れ、仕事までもなくなって途方に暮れている人々には、歌や踊りを見せるのではなく、彼らが不自由のないよう、そっと見守りながら生活支援をすることが大事ではなかろうか。そして、仮設住宅に入居し、職に就いて生活を再建し出してから、彼らが心に余裕が出来、ふとありし日を振り返って気が滅入りそうになった時に、合唱を聞いたり、踊りを見たりして元気を取り戻すことはあるだろう。そういう時にこそ、存分に歌い、踊って被災者を元気づけてもらいたい。
 「被災者を元気づける」という非被災者の言葉は、どこか思いあがった感じがあり、対岸の火事を見ているようで軽薄だ。
上辺だけの言葉より、自らも痛みを伴う義援金や、現地でのボランティア活動のほうが百倍、千倍、現地の人を元気づける。
 日本人の特徴として「控えめ」という意識があった。これは美徳と評価されることもあり、消極的だという評価にもなるが、最近は目立つことに喜びを覚える、目立ちがり屋が多すぎる。それも、場所や時もわきまえず、みんなの前で自分をアピールする。そうすることが自己主張のできる人という評価になると思っているようだ。これも戦後教育の影響なのかと思ったりする。
 「被災者を元気づける」も一種の目立ちだ。それよりもあんたたちが、元気に働いて、社会を元気にしてもらいたいよ。
 わかったかね、目立ちがり屋さんよ。

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