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子供にも言い分がある

ワシは今日、自家用車の定期点検にディーラーに行った。今はディーラーもサービスが良く、点検を待つ間、コーヒーやジュースのサービスがある。同じように点検に来ていた幼児連れの若い女性もいた。3歳くらいの男の子と1歳くらいの女の子にはココアがサービスされていた。ワシはソファーに新聞を置いて記事を読んでいた。するとココアの甘い香りが漂ってきた。後ろを見ると、その3歳くらいの男の子が、床にこぼしたココアを拭いていた。その子と目が合ってワシは二コリとしてまた新聞を読み出した。しばらくすると、その子は喫煙室にいた母親の所へ行き、「こぼしたー。」と言った。母親は「どうしてこぼすのよ、もう。」と言いながら現場にきた。そこのガラステーブルには、ココアを拭きとった赤ちゃん用のタオルが置いてあった。「あなた、なんでこのタオルで拭くの。もう使えないじゃない。今日はこれ1枚しかないのよ。こぼしたら何で言ってこないのよ。」 母親は男の子を怒っていた。軽くその子の頭を叩いた。おそらく家だったらもっと大声で、もっと強く叩いたであろうと思われた。子供は「もう、おかあさん嫌い!」と言って今にも泣きだしそうだった。下の女の子のよだれ拭きなどに使うタオルだったのだろう。母親はココアをこぼしたことより、このタオルで床を拭いたことに対してその男の子を怒っていたのだ。ココアをこぼして、直ぐに言いに来てくれたら、お店から雑巾かモップを借りるかして床を拭いたのにという思いだ。男の子は泣き出しそうな顔をして黙っていた。母親は続けて言う。「おかあさんに怒られまいと、黙っていようと思ったのでしょ。いつも言っているでしょ、こぼしたらすぐに言いなさいと。何で言わなかったの。」 この母親は子供を教育しているようで、実は自分の都合で子供を怒っているように思えた。子供が飲み物を床にこぼしてしまった。どうせ綺麗には拭けないし、雑巾以外の物で拭かれてもかなわないから、最後は母親である自分が拭かなければならない。だったら最初から自分に言って来なさいと。しかしワシは、この子が母親に言う前に、自分で拭こうとしたことを高く評価したい。母親は、怒られないように黙っていようと思ったんでしょと言っていたが、その前に子供の気持ちを汲んでやるべきではなかったか。家とは違う、綺麗なショウルームのピカピカの床にココアをこぼしてしまった。子供はとっさに、これは何とかしなくちゃと思ったことだろう。だから母親に言うまえに拭くという行動に出たと思われる。赤ちゃん用のタオルと雑巾の区別がこの歳の子供にできないのは当然ではないか。こぼしたものをすぐに拭くという行動に出たことをワシは褒めてやりたい。物をこぼして、「ママー、こぼしちゃった。」といって母親に掃除をしてもらう子供よりも、食器を拭く布きんでもいいから、母親に言う前に自分で拭く子供の方がかわいいとワシは思う。
最近の若い母親は、子供の躾について、躾をしているつもりだろうが、実は自分に都合のいいように子供を手慣つけている場合が多い。子供の躾のためには自分の労を厭わないという気持ちが感じられないのである。そもそも、その親にして、戦後教育の成果として、自主性だの、個人の自由だの、個性の尊重だのと教育されて育ってきた世代だ。そういう親が、躾というある種自由を制約する家庭教育を、我が子にできるのかという根源的な問題に直面する。
ココアを拭いた男の子よ、どうかその時の気持ちを忘れずに素直に育ってくれよ。
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テーマ : 子育て - ジャンル : 育児