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スーパーの音声レジで格好つけたワシ

 いまはスーパーのレジスターは音声で値段を読み上げる。個々の商品の値段を確認出来る点は便利だし、いいなと思う。しかし、音声で読み上げられて、あまりいい気持ちがしないこともある。
 ワシは先日、カミさんに頼まれて近所のスーパーに買い物にいった。ちゃんぽんめん5玉、もやし2袋、丸天2袋、食パン2斤、板チョコ3枚だった。レジに並んだ。この日は休日の夕方でもあり、みんなカートいっぱい買い物をしている。「253円、467円、128円、1460円、764円・・・・・・」とレジの音声が値段を読み上げる。景気は少しでも良くなってきたのかな、などと思いながら自分の順番がきた。「22円、22円、22円、22円、22円、33円、33円、78円、78円、98円、98円、88円、88円、88円」と読み上げられた。なんじゃ!、100円以下の品物ばっかしではないか! ワシの前の人も、ワシの後ろのひともみんなカートいっぱいに買い物をしている。3、4000円くらいの買い物か。その間にわしがカゴに14点、レジ袋(中)1袋で十分に足りる量の買い物だ。レジの女性が、「14点のお買い上げで、792円です」ときた。
 ワシもいつもはカートいっぱいの買い物をするが、その日はたまたま、カミさんに頼まれて少量の買出しに行ったまでだ。この日のレジでは3、4000円級の買い物の中に、ワシがポツンと792円。それもみんな100円以下。周りの目線が気になるわけではないが、とくに後ろの目線が笑っているように思えた。1000円札を持っていたが、わざと10000円札を出し、つり銭をもらった。これって見栄かなー。 
 音声レジも考えもんだね。
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テーマ : こんなことがありました - ジャンル : ブログ

どこか同情したくなるおじいちゃん

 今日、駅のバスターミナルで帰宅のバスを待っていた。6時半頃で、多くの人が並んでバスを待っていた。バスが来て、その系統のバス列にならんでいた客がバスに乗り込み、バスは信号待ちで発車を待っている状態だった。そこに、人を押しのけるようにして、80才を少し超えたと思われる老人が小走りで、バスに乗ろうとしていた。ワシのところからはバスは見えなかったが、ほどなくバスは発車した。しばらくすると、バス乗り場乗降ドアのほうから先ほどの老人が鼻血を出しながらこちらに戻ってくる。ワシの後方にあるターミナルの壁に寄りかかった。そこで鼻血でも拭くのかなと思い、その時はさほど気にも止めなかったが、しばらくして振り返ると、その老人は無料の情報誌立てに寄りかかって、鼻血を出したままだ。ワシはカバンにポケットティッシュを持っていたのでそれからティッシュを一枚抜きながら老人に近づき、「どうしました?」と言ってそのティッシュを渡した。老人は、ティッシュをもらい、「こけたんです。」と言って、無造作に鼻血を拭いた。老人は鼻血で染まったティシュを、一瞬その場に捨てようとしたが、すぐに右手で握り潰した。ワシは、この老人は常識がある人だなと思った。「どちらに行かれます?」と聞くと。「〇〇団地です。」という。この乗り場には〇〇団地行きのバスは来ないはずだがと思いながら、乗降ドアの上に掲げてある路線図を見ようとすると、列に並んでいる女性が、「〇〇団地はとなりの乗り場ですよ。」と声をかけてくれた。ワシは同じことをその老人にはなし、となりの乗り場を指差し、「あちらの列に並ばれたらいいですよ。」と言った。老人は、「はい」といってあわただしく隣の乗り場に歩いて行った。
 残ったポケットティシュも老人に渡したが、あれで足りただろうかと思いながら、人の良さそうなその老人に、どこか同情している自分がいた。バスが来た。乗り遅れまいと人をかき分け小走りにバスに近づくと、途中でこけてはなを打って鼻血が出る、見るとバスは違う行き先だ。ましてや、ここは〇〇団地行きのバス乗り場ではない。あー、自分は何のために走り、大勢の人前でこけて鼻血を出したのかと、その老人も思ったに違いない。この老人も一家を背負い、社会の末端で一生懸命に働き、家族を養ってきたことだろう。しかし、鼻血で顔を汚し、隣の乗り場にあわただしく歩いていく老人の後ろ姿には、往年のたくましさや、元気良さを想像できるものはなく、ただ寂しい背中があるだけだった。ひょっとするとこの老人も、これまでの人生、一生懸命に働いてきたが、途中でこけたり、これだと思って走ったら、全くの見当違いであったりの繰り返しではなかったのかと想像したりする。これまでのワシの人生に重ねるとなおさら同情したくなる。
 しかし、世の中は、ほとんどはこういう名もしれぬ人間が地道な生活の上で作ってきたものだ。スポットライト浴びた一部の人間が作ってきたのではないということだけは、声を大にして言いたい。市営住宅のある〇〇団地行きのバスに乗った老人に、この先、幸多かれと願いたい。そして我が同志、先輩と叫びたい。
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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

トラックバックテーマ 第1379回「ニュースは主に何で知りますか?」

ワシはインターネットだね。
新聞もとっているが、平日は会社に出て、インターネットで朝刊を読む。
帰宅して新聞紙もめくるけど、主なニュースはインターネットで知っているから
さらっと流すだけだね。
そしてインタネットのブログなどからいろんな情報を仕入れている。
新聞の論調がどこも一緒なのに対して、インターネットでは新聞が報道しない視点を
教えてくれるからおもしろい。
しかし、休日はしっかりと誌面を見る。インタネットに載らない特集があるから
楽しみにしている。
それにしても最近の新聞は一面広告が多いよね。広告収入が少なくなったこともあろうが
多いときには3面が一面広告だったりする。

テーマ : 日々のできごと - ジャンル : ライフ

母親の涙ぐましい愛情

  ワシは朝早く出勤する。団地内から地下鉄の駅までバスに乗る。そこから1区間だけ地下鉄に乗るが、地下鉄を降りるときはいつも同じメンバーだ。その中にひとり、40代半ばとみられる知的障害者がいる。この駅近くの施設に通っているのか、近くで働いているのかわからないが、いつも小綺麗にしていて清潔感がある。そして彼がはいている革靴がいつもピカピカに磨かれているのに驚く。わしもいつも革靴をはいているが、毎日磨いたことはない。休日に気が向いたら靴クリームを塗って、ネル布で伸ばしながら拭き取るくらいで、ましてや嫁さんが毎日靴を磨いてくれるなんて有り得ない話だ。ところが彼の靴は、その朝磨いたということがわかるくらいにいつもピカピカなのだ。ワシの想像では、彼の母親が毎日磨いて、彼を送り出しているのだろう。母親の子に対する愛情が感じられる。彼の年齢から察すると、母親は70歳前後と思われる。母親が元気かどうかはわからないが、彼に着せる服を用意し、靴を毎日綺麗に磨く、これを自分の責任として、日々の仕事として課しているような気がする。
 70歳ともなれば、この先そう長くは生きられない。しかし息子のことを思うと死んでも死にきれない。いま自分ができることは、この息子が世間から後ろ指を指さされないように、普通の人のように、いや普通の人以上に小奇麗で清潔感のある身だしなみをさせて世間に送り出すことだと言っている様に思えるのだ。そこには母親の愛情と、涙ぐましい意地と、世間に対する反発が感じられるのだが、翻って自らを顧みたとき、ワシは彼の母親ほどに確固とした信念をもって子供に接しているか、はずかしい限りだ。
 今の世の中、心身ともに何不自由のない人間が、ちょっとした欲や、見栄や、感情だけで、凶悪な事件を引き起こしている。そういう世の中に対する、ある意味軽蔑が彼女らの生きる力、意地になっているのかもしれない。
  社会人になる子を持つ親として、彼女の気持ちを察する年齢になったのかと思う日々である。

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きびしい現実を、再認識した。

この前の日曜日、ワシは車で町内に買い物に出た。歩道のない車道で、歩行者に気を付けながら徐行していた。対向する歩行者を見てびっくりした。小学1、2年生のときの同級生である。44年ぶりに見る姿だったが、一目見てすぐにわかった。彼は知能が遅れていたが、われわれと一緒の授業を受けていた。3年生では別のクラスだったが、4年生から擁護学校に行った。ワシと同じクラスのときも、3年生のときも、みんなからからかわれ、拳を振り上げ泣きながら追いかけてきた。ワシも何回かはからかったことはあるが、今のイジメとはほど遠い。しかし、子を育てている今にして思えば、ワシも悪いことをしたなと反省している。彼の親も、知能が遅れているとはいえ、普通の子供と一緒に学校で学ばせたかったのだろう。こういう親心も知らず、子供はなんと残酷なことか。彼には1つ年下の妹がいて、同じ学校に通っていた。彼女は健常だったが、あいつの妹と指を指されていた。兄がからかわれているところを、何回も見ているだろうが、どんな気持ちだっただろう。家に帰って、親にどんな話をしたのだろう。あのころのことが走馬灯のように思い出され胸が詰まる思いだった。その彼が、今ワシの車の左ドアの横を歩いている。キャップをかぶっているが、顔は色黒く、しわが多い。腰は曲がっている。腰に障害があるようで歩き方もぎこちない。しかし間違いなく彼だ。町は広いとはいえ、彼は同じ町内に住んでいたんだ。小学校のある町ではないが、ワシは住んで11年だが、彼はこの町にどれくらい住んでいるのだろう。いままでどのようにして生活してきたのだろう。ワシらの年代から察すると、親は他界しているかもしれない。生存していても親が面倒を見ているとは考えられない。かれは何をして食っているのだろうか。いや、現にこれまで食ってきている。彼から見ると、ワシなんぞヌクヌクと生きてきた人間だろう。これからの余生も彼は彼なりに食っていかなければならない。それはワシだって同じだが、ワシは恥ずかしくて彼の前には出られない。ワシも人並みには苦労はしてきたと思うが、彼がこれまで生きてきた肉体的、精神的苦痛を思うと、その苦労は100分の1にもならないかもしれない。彼はひとりで買い物をしての帰りのようだったが、一人で生活しているのだろうか。もしそうだとしたら、現実というのは何と厳しいものか。彼の姿を見ると、給料が安いとか、休みたいとか言っておられない。彼から勇気をもらったような気になった。
お互いに頑張ろうぜ、○○君!

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