カタールのW杯。ゴミ拾いして日本人に批判される。おかしくね?
W杯カタール大会で日本のサポーターがスタジアムのごみ拾いをしたことが海外のメディアに取り上げられ称賛されていることに対し、大王製紙元会長の井川意高氏と前東京都知事の舛添要一氏のツイッターが波紋を呼んでいる。井川は「そもそも海外で評価されてるということを喜ぶ奴隷根性が嫌いだわ」とコメント。続けて「とにかくオレが嫌いで気持ち悪いのは 対象が何であれ 無批判に称賛 崇拝すること バカの証明」とした。ゴミ拾いそのものは否定しておらず「海外で評価」を無条件で喜んでしまっていることを批判した。その後も井川は「ゴミ拾い褒められてうれしい日本人が悲しいんよ」「日本人の劣化が口惜しいんです ゴミ拾い褒められて喜ぶ奴隷根性に 大和民族が成り果てたことに憤ってるのです」となど投稿した。
一方、舛添は日本のサポーターがスタジアムの清掃をして帰るのを世界が評価しているという報道もあるが、一面的だ」と指摘したうえで「身分制社会などでは、分業が徹底しており、観客が掃除まですると、清掃を業にしている人が失業してしまう。」と断言。
続けて「文化や社会構成の違いから来る価値観の相違にも注意したい。日本文明だけが世界ではない」と持論を展開した。
二人ともバカですな。まず井川。ゴミ拾いは汚い仕事で卑しい人間がするものだという考えが見えてくる。それが奴隷だという。奴隷は白人の傲慢さ、身勝手さから作られた身分であり、汚い仕事を強制的にさせてきたという歴史に目をつむっている。差別的な視点が見られる。また舛添は、海外ではゴミ拾いをするのが職業の人がいるから、彼らの職が亡くなるような行為は止めよという。彼らの仕事を「作ってやるために」、ゴミを「散らかしてやる」ことをしなければいけないと言う。あきれてものが言えない。その言葉をカタールの現地の人間が言うのならわかるが、いつもきれいに掃除されている東京にいて、しかも自分はゴミ拾いの「ご」の字もしないくせによく言うよなと言う感じだ。
「立つ鳥跡を濁さず」というのが日本人の道徳だ。海外に行って「散らかして帰ってこい」というのは日本人の道徳、倫理観を否定するものだ。外国が清掃をする人の職を守るために、本当にゴミ掃除して帰ってほしくないと思うなら、日本人が掃除した後をまた汚すはずだ。それでもいいではないか。その行為が相手を侮辱したり、宗教上の誤解を招かないのであれば、余計なことを考えずに日本式に行動すればいいのではないか。ワシはそう思う。

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一方、舛添は日本のサポーターがスタジアムの清掃をして帰るのを世界が評価しているという報道もあるが、一面的だ」と指摘したうえで「身分制社会などでは、分業が徹底しており、観客が掃除まですると、清掃を業にしている人が失業してしまう。」と断言。
続けて「文化や社会構成の違いから来る価値観の相違にも注意したい。日本文明だけが世界ではない」と持論を展開した。
二人ともバカですな。まず井川。ゴミ拾いは汚い仕事で卑しい人間がするものだという考えが見えてくる。それが奴隷だという。奴隷は白人の傲慢さ、身勝手さから作られた身分であり、汚い仕事を強制的にさせてきたという歴史に目をつむっている。差別的な視点が見られる。また舛添は、海外ではゴミ拾いをするのが職業の人がいるから、彼らの職が亡くなるような行為は止めよという。彼らの仕事を「作ってやるために」、ゴミを「散らかしてやる」ことをしなければいけないと言う。あきれてものが言えない。その言葉をカタールの現地の人間が言うのならわかるが、いつもきれいに掃除されている東京にいて、しかも自分はゴミ拾いの「ご」の字もしないくせによく言うよなと言う感じだ。
「立つ鳥跡を濁さず」というのが日本人の道徳だ。海外に行って「散らかして帰ってこい」というのは日本人の道徳、倫理観を否定するものだ。外国が清掃をする人の職を守るために、本当にゴミ掃除して帰ってほしくないと思うなら、日本人が掃除した後をまた汚すはずだ。それでもいいではないか。その行為が相手を侮辱したり、宗教上の誤解を招かないのであれば、余計なことを考えずに日本式に行動すればいいのではないか。ワシはそう思う。

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テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル : 政治・経済
「年代測定法」の基礎データ開示。奈文研と市民団体、何を争っているの?
< 23日の産経WESTより引用>
遺跡や建築物に用いられた木材の年輪幅から伐採年を特定する「年輪年代法」をめぐり、日本でこの測定法を確立した奈良文化財研究所(奈文研、奈良市)が、年輪幅の基礎データの開示を求めた市民団体の情報公開請求に対し、調査研究への支障を理由に不開示としていたことが23日、関係者への取材で分かった。
測定法の確立からはすでに30年以上が経過しており、団体側は「研究に支障が生じるとは考えられない」として、近く不開示決定の取り消しを求め、提訴する方針。
年輪年代法は、奈文研の前身である奈良国立文化財研究所の光谷(みつたに)拓実氏が昭和55年に研究に着手。ヒノキについて、紀元前から約2千年分の年ごとの年輪幅が分かる「暦年標準パターン」を平成2年までに確立。その後、範囲を広げ、現在ではヒノキとスギの約3千年分の年代を測定できるようになっている。
団体が開示を求めたのは採取した木材の年輪を撮影した画像や年輪幅の計測結果など「暦年標準パターン」の作成に用いられた基礎データ。昨年7月に奈文研側に公開を求めたところ「調査研究の公正かつ能率的な遂行を不当に阻害する恐れがある」として不開示の決定を受けた。団体側は「暦年標準パターン自体は平成2年に公表され、30年余り経過している。基礎データの開示で調査研究を阻害する恐れが生じるとはいえない」と不開示に反発。暦年標準パターンが年代測定の「物差し」になっているにもかかわらず、その妥当性を示すデータを公開しないのは不当だと主張しており、奈文研を運営する独立行政法人国立文化財機構(東京)を相手取り、近く東京地裁に訴訟を起こす。(以上)
このニュース、よくわからない。基礎データの開示を求めた市民団体は、開示を求めて何がしたいのか。奈文研と市民団体、何を争っているのか。そもそも、基礎データの開示を求めた市民団体ってなんだ?
何かよくわからないニュースだった。

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遺跡や建築物に用いられた木材の年輪幅から伐採年を特定する「年輪年代法」をめぐり、日本でこの測定法を確立した奈良文化財研究所(奈文研、奈良市)が、年輪幅の基礎データの開示を求めた市民団体の情報公開請求に対し、調査研究への支障を理由に不開示としていたことが23日、関係者への取材で分かった。
測定法の確立からはすでに30年以上が経過しており、団体側は「研究に支障が生じるとは考えられない」として、近く不開示決定の取り消しを求め、提訴する方針。
年輪年代法は、奈文研の前身である奈良国立文化財研究所の光谷(みつたに)拓実氏が昭和55年に研究に着手。ヒノキについて、紀元前から約2千年分の年ごとの年輪幅が分かる「暦年標準パターン」を平成2年までに確立。その後、範囲を広げ、現在ではヒノキとスギの約3千年分の年代を測定できるようになっている。
団体が開示を求めたのは採取した木材の年輪を撮影した画像や年輪幅の計測結果など「暦年標準パターン」の作成に用いられた基礎データ。昨年7月に奈文研側に公開を求めたところ「調査研究の公正かつ能率的な遂行を不当に阻害する恐れがある」として不開示の決定を受けた。団体側は「暦年標準パターン自体は平成2年に公表され、30年余り経過している。基礎データの開示で調査研究を阻害する恐れが生じるとはいえない」と不開示に反発。暦年標準パターンが年代測定の「物差し」になっているにもかかわらず、その妥当性を示すデータを公開しないのは不当だと主張しており、奈文研を運営する独立行政法人国立文化財機構(東京)を相手取り、近く東京地裁に訴訟を起こす。(以上)
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7歳のメイドの子供、インコを逃がしてしまい雇い主に殺される。パキスタンで。
パキスタンで、メイドとして働いていた7歳の少女が、雇用主が飼っていたペットのインコをうっかり逃がしてしまい、雇用主から拷問され殺される事件があった。雇用主は警察に逮捕されている。
なんとも痛ましい事件だ。7歳でメイドとして労働に出なければならないのか・・・・。同じ地球上で、こんな悲しい事件が起こっているのだと改めて分かった。いや、こういう事件は世界のあちこちで起こっていて決して珍しいものでないのかもしれない。日本に住んでいると、子供は親の庇護の下大事に育てられ衣食住を心配することもなく、教育も受けられている。7歳と言えば小学1年生だ。可愛いく遊びたい盛りの年代だ。こういう社会に生きる子供の方が、世界的には少数なのかもしれない。親にとっても、子供にとっても、安心・安全で衣食住が満たされる社会を作ってくれた先人たちに頭が下がる思いだ。
こんな痛ましく、悲しい事件はなくなってほしいが、世界には殺された子のように、教育も受けられず、働かされる社会に暮らす子供たちがたくさんいるという現実を、日本の子供たちはどう思うだろうか。子供たちの生の声を聞きたいと思う。
ここ最近、武漢ウイルス感染や、検察庁法改正案、黒川検事長の定年延長問題および賭け麻雀問題と、政治色の強い話題ばかりだったが、わずか7歳のメイドの子供が殺されたニュースに接して、社会の豊かさを実感するとともに、我々の日常の不平不満がいかに贅沢なものであるのかが思い知らされた。ある意味で心が洗われたニュースだった。

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なんとも痛ましい事件だ。7歳でメイドとして労働に出なければならないのか・・・・。同じ地球上で、こんな悲しい事件が起こっているのだと改めて分かった。いや、こういう事件は世界のあちこちで起こっていて決して珍しいものでないのかもしれない。日本に住んでいると、子供は親の庇護の下大事に育てられ衣食住を心配することもなく、教育も受けられている。7歳と言えば小学1年生だ。可愛いく遊びたい盛りの年代だ。こういう社会に生きる子供の方が、世界的には少数なのかもしれない。親にとっても、子供にとっても、安心・安全で衣食住が満たされる社会を作ってくれた先人たちに頭が下がる思いだ。
こんな痛ましく、悲しい事件はなくなってほしいが、世界には殺された子のように、教育も受けられず、働かされる社会に暮らす子供たちがたくさんいるという現実を、日本の子供たちはどう思うだろうか。子供たちの生の声を聞きたいと思う。
ここ最近、武漢ウイルス感染や、検察庁法改正案、黒川検事長の定年延長問題および賭け麻雀問題と、政治色の強い話題ばかりだったが、わずか7歳のメイドの子供が殺されたニュースに接して、社会の豊かさを実感するとともに、我々の日常の不平不満がいかに贅沢なものであるのかが思い知らされた。ある意味で心が洗われたニュースだった。

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テーマ : いのちあるものが いのちあるように - ジャンル : 政治・経済
スーパーの音声レジで格好つけたワシ
いまはスーパーのレジスターは音声で値段を読み上げる。個々の商品の値段を確認出来る点は便利だし、いいなと思う。しかし、音声で読み上げられて、あまりいい気持ちがしないこともある。
ワシは先日、カミさんに頼まれて近所のスーパーに買い物にいった。ちゃんぽんめん5玉、もやし2袋、丸天2袋、食パン2斤、板チョコ3枚だった。レジに並んだ。この日は休日の夕方でもあり、みんなカートいっぱい買い物をしている。「253円、467円、128円、1460円、764円・・・・・・」とレジの音声が値段を読み上げる。景気は少しでも良くなってきたのかな、などと思いながら自分の順番がきた。「22円、22円、22円、22円、22円、33円、33円、78円、78円、98円、98円、88円、88円、88円」と読み上げられた。なんじゃ!、100円以下の品物ばっかしではないか! ワシの前の人も、ワシの後ろのひともみんなカートいっぱいに買い物をしている。3、4000円くらいの買い物か。その間にわしがカゴに14点、レジ袋(中)1袋で十分に足りる量の買い物だ。レジの女性が、「14点のお買い上げで、792円です」ときた。
ワシもいつもはカートいっぱいの買い物をするが、その日はたまたま、カミさんに頼まれて少量の買出しに行ったまでだ。この日のレジでは3、4000円級の買い物の中に、ワシがポツンと792円。それもみんな100円以下。周りの目線が気になるわけではないが、とくに後ろの目線が笑っているように思えた。1000円札を持っていたが、わざと10000円札を出し、つり銭をもらった。これって見栄かなー。
音声レジも考えもんだね。

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ワシは先日、カミさんに頼まれて近所のスーパーに買い物にいった。ちゃんぽんめん5玉、もやし2袋、丸天2袋、食パン2斤、板チョコ3枚だった。レジに並んだ。この日は休日の夕方でもあり、みんなカートいっぱい買い物をしている。「253円、467円、128円、1460円、764円・・・・・・」とレジの音声が値段を読み上げる。景気は少しでも良くなってきたのかな、などと思いながら自分の順番がきた。「22円、22円、22円、22円、22円、33円、33円、78円、78円、98円、98円、88円、88円、88円」と読み上げられた。なんじゃ!、100円以下の品物ばっかしではないか! ワシの前の人も、ワシの後ろのひともみんなカートいっぱいに買い物をしている。3、4000円くらいの買い物か。その間にわしがカゴに14点、レジ袋(中)1袋で十分に足りる量の買い物だ。レジの女性が、「14点のお買い上げで、792円です」ときた。
ワシもいつもはカートいっぱいの買い物をするが、その日はたまたま、カミさんに頼まれて少量の買出しに行ったまでだ。この日のレジでは3、4000円級の買い物の中に、ワシがポツンと792円。それもみんな100円以下。周りの目線が気になるわけではないが、とくに後ろの目線が笑っているように思えた。1000円札を持っていたが、わざと10000円札を出し、つり銭をもらった。これって見栄かなー。
音声レジも考えもんだね。

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テーマ : こんなことがありました - ジャンル : ブログ
どこか同情したくなるおじいちゃん
今日、駅のバスターミナルで帰宅のバスを待っていた。6時半頃で、多くの人が並んでバスを待っていた。バスが来て、その系統のバス列にならんでいた客がバスに乗り込み、バスは信号待ちで発車を待っている状態だった。そこに、人を押しのけるようにして、80才を少し超えたと思われる老人が小走りで、バスに乗ろうとしていた。ワシのところからはバスは見えなかったが、ほどなくバスは発車した。しばらくすると、バス乗り場乗降ドアのほうから先ほどの老人が鼻血を出しながらこちらに戻ってくる。ワシの後方にあるターミナルの壁に寄りかかった。そこで鼻血でも拭くのかなと思い、その時はさほど気にも止めなかったが、しばらくして振り返ると、その老人は無料の情報誌立てに寄りかかって、鼻血を出したままだ。ワシはカバンにポケットティッシュを持っていたのでそれからティッシュを一枚抜きながら老人に近づき、「どうしました?」と言ってそのティッシュを渡した。老人は、ティッシュをもらい、「こけたんです。」と言って、無造作に鼻血を拭いた。老人は鼻血で染まったティシュを、一瞬その場に捨てようとしたが、すぐに右手で握り潰した。ワシは、この老人は常識がある人だなと思った。「どちらに行かれます?」と聞くと。「〇〇団地です。」という。この乗り場には〇〇団地行きのバスは来ないはずだがと思いながら、乗降ドアの上に掲げてある路線図を見ようとすると、列に並んでいる女性が、「〇〇団地はとなりの乗り場ですよ。」と声をかけてくれた。ワシは同じことをその老人にはなし、となりの乗り場を指差し、「あちらの列に並ばれたらいいですよ。」と言った。老人は、「はい」といってあわただしく隣の乗り場に歩いて行った。
残ったポケットティシュも老人に渡したが、あれで足りただろうかと思いながら、人の良さそうなその老人に、どこか同情している自分がいた。バスが来た。乗り遅れまいと人をかき分け小走りにバスに近づくと、途中でこけてはなを打って鼻血が出る、見るとバスは違う行き先だ。ましてや、ここは〇〇団地行きのバス乗り場ではない。あー、自分は何のために走り、大勢の人前でこけて鼻血を出したのかと、その老人も思ったに違いない。この老人も一家を背負い、社会の末端で一生懸命に働き、家族を養ってきたことだろう。しかし、鼻血で顔を汚し、隣の乗り場にあわただしく歩いていく老人の後ろ姿には、往年のたくましさや、元気良さを想像できるものはなく、ただ寂しい背中があるだけだった。ひょっとするとこの老人も、これまでの人生、一生懸命に働いてきたが、途中でこけたり、これだと思って走ったら、全くの見当違いであったりの繰り返しではなかったのかと想像したりする。これまでのワシの人生に重ねるとなおさら同情したくなる。
しかし、世の中は、ほとんどはこういう名もしれぬ人間が地道な生活の上で作ってきたものだ。スポットライト浴びた一部の人間が作ってきたのではないということだけは、声を大にして言いたい。市営住宅のある〇〇団地行きのバスに乗った老人に、この先、幸多かれと願いたい。そして我が同志、先輩と叫びたい。

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残ったポケットティシュも老人に渡したが、あれで足りただろうかと思いながら、人の良さそうなその老人に、どこか同情している自分がいた。バスが来た。乗り遅れまいと人をかき分け小走りにバスに近づくと、途中でこけてはなを打って鼻血が出る、見るとバスは違う行き先だ。ましてや、ここは〇〇団地行きのバス乗り場ではない。あー、自分は何のために走り、大勢の人前でこけて鼻血を出したのかと、その老人も思ったに違いない。この老人も一家を背負い、社会の末端で一生懸命に働き、家族を養ってきたことだろう。しかし、鼻血で顔を汚し、隣の乗り場にあわただしく歩いていく老人の後ろ姿には、往年のたくましさや、元気良さを想像できるものはなく、ただ寂しい背中があるだけだった。ひょっとするとこの老人も、これまでの人生、一生懸命に働いてきたが、途中でこけたり、これだと思って走ったら、全くの見当違いであったりの繰り返しではなかったのかと想像したりする。これまでのワシの人生に重ねるとなおさら同情したくなる。
しかし、世の中は、ほとんどはこういう名もしれぬ人間が地道な生活の上で作ってきたものだ。スポットライト浴びた一部の人間が作ってきたのではないということだけは、声を大にして言いたい。市営住宅のある〇〇団地行きのバスに乗った老人に、この先、幸多かれと願いたい。そして我が同志、先輩と叫びたい。

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